敗戦75年目の「ゆきどけ荘」
7月下旬に、こんなサイトが公開されていたのをご存知だろうか。就職氷河期世代への支援ポータルサイト「ゆきどけ荘」という政府広報Webサイトだ。「ゆきどけ荘」に集まる住人は就職氷河期に遭遇して今でも困難を抱えており、大家さんが彼らの悩みに答えていくというストーリーが展開されている。これを公開するという行為はディスコミュニケーションの極みであり、8月15日にしげしげと見ると「さすがは日本」としか言いようがない(もちろん皮肉)。
知名度はいまひとつだと思う。SNSプロモーションを主にしているからか、おそらく見る人が限られている。Twitterでザッと検索すると「ターゲット」の否定的なコメントと「ターゲット」より下の年代の嘲笑コメントが目立つ。「ターゲット」と同年代でも「普通に新卒で正社員になって今も働いている人」には無関係なので見向きもしない。何より「当事者より上の世代」は目にする機会も少ないようだ。彼らの声は、おそらく交わることがない。
時期的にもCOVID-19関連ほどのインパクトもないからだろう。内閣官房が旗を振っているのに、特に誰も気にしていない。正義の盾に使うのは勘弁してほしいので、攻撃対象に挙がらなくてよかったけど、就職氷河期のことなんて、無かったことにされているという表れだ。
もちろん誰かの制作物である前に、「OKを出した=これじゃないとOKを出さなかった」のはクライアントである。政府・内閣官房、関係各所との紆余曲折あったことはふまえても、天を仰ぎたくなるキャンペーンだ。予算が足りなかったんだと思うけど……。マズい点を5つ挙げてみる。
1)これがポータルサイトなのか
まず、ポータルサイトと名乗りながら、その役目を果たしていない。情報の更新が遅く、目的の情報にたどり着くまでの導線が長くなるように設計されている。制作者も本当は「ポータルサイト」とは思ってないだろう。本来の提案では「ポータルサイト」部分があったけど、そこまでしか予算がなかった可能性もある。
せめて総務省のこのページの更新をお知らせするだけでも違うはずだ。
「地方公共団体における就職氷河期世代支援を目的とした職員採用試験の実施状況」
このお盆時期に「就職氷河期枠」の公務員試験のエントリーが結構多い様子だ。ということを記事を書くために調べてる途中で知ったのだが、ポータルサイトとはそういう役割を持つべきもの。いっそのことファーストビューで検索窓でも設けておけばよかった。
注ぐべきところに予算を使わない、ディスコミ傾向の広報……発注元が同じだと、どの案件も似たようになるということだろう。
2)才能のムダづかい
そして、今日マチ子さんをムダづかいしている。「税金が〜〜」などという問題ではない。そんなことは正直どうでもいい。ただもったいない。本来ならこの題材と相性がいいはずなのに。次からの項目とも関連する話だが、理由のひとつは単純な類型化をしすぎたのだろう。「支援施策一覧」を見ればわかるように、掲げている施策は20個もあるのに、ケース紹介が3組に集約されている(しかも、すべて網羅されていない)。キャラクターが自由に動いていないところが歯痒いところだ。
3)正社員じゃないとフリーター
「鈴木スミレさんのストーリー」のサブタイトルは「わけあってフリーター」である。その紹介文にのけぞったのはわたしだけだろうか? 内閣官房の認識では、非正規雇用というだけでフリーター。まるまる引用しておく。
[仕事熱心な鈴木さん。しかし、学生時代の就職活動では希望の仕事につけず、⾮正規雇用を転々としている。今の会社は5社目。真面目な勤務態度が会社にも評価されているが、正社員になれる目途はない。正社員として働くことを望んでいるものの、正社員の経験はなく、自信をなくしている。]
とのことだ。
このストーリーでは、大家さんに公務員をすすめられてヤル気を出して終わる。非常勤で公務員してる人はどう思うんだろうか?(※ここですすめられてるのは、特別枠の公務員のことですが)ちなみに彼女は34歳設定。
4)寄り添いなどしない
「田山テルさんのストーリー」はどんなストーリーなのかがよくわからない。紹介文がすべてである。また引用してみる。
[勤勉で⼏帳⾯な田山さん。就職したい気持ちはあるが、6年前に勤めていた会社で派遣切りにあったトラウマから、就職活動をしていない。とくにやりたいことや、これといったスキルもなく、何から⼿をつけていいのかわからない。
働きたい気持ちはあるものの、40歳になり、もう自分には無理なのでは、とあきらめつつある。]
とのこと。それって6年後の鈴木スミレさんと入れ替わってないかな、などと考えてしまう。(そんなわけないけど)
「あなたにもいいところがあるじゃない」とフワッと褒めつつ、結局のところ「とにかく働け」しか言わない。「とにかく何も考えなくていいから投票しよう」という呼びかけと同じ構造だ。
5)ひきこもる人の話は聞かない
ここまでくると大喜利状態ですが、「佐藤ご夫妻のストーリー」がすごい。ひきこもり状態の44歳・息子と同居中の70代夫婦の悩み相談。また引用する。
[不登校からそのままひきこもりになってしまった、息子の佐藤ヒトシさん(44歳)。外に出るのは、たまにコンビニに行く時ぐらい。同居しているご両親のシゲオさんとヨシエさんは、誰に相談することもできず、時間だけが過ぎてしまった。自分たちも70代になり、これからのことを考えて不安をつのらせている。]
ということだが、一番不安なのはヒトシでは?
しかし大家さんは夫妻をねぎらうばかり。内閣官房としては、ヒトシの話は聴くに値しないようだ。
このような点で、いまの「日本」の一端が垣間見れるわけです。「さすが政府広報」と言いたくなる(再・皮肉ですからね)。
とはいえ、笑ってる場合でもない。今日は2020年8月15日、敗戦から75年目だ。実はこの日にも通じている。加藤典洋さんの『敗戦後論』を援用すれば、ずっと負け続けているのに負けていないフリをしているのかもしれない。
こじつけでもなんでもない。戦後の営みの積み重ねが、就職氷河期という状態を作ったのだ。しかし、正規ルートから外れた人に「負け」を押し付けるだけで流されてきた組織は結局のところ自らも脆弱になっている。それは自治体で、企業で、業界で。さまざまな場所にある日本の社会という組織のことだ。そして戦後75年目のいま、世界で流行っている感染症に晒されている。
来春の新卒採用は厳しいという。さまざまな予測によると「団塊世代がいないので、人手不足が起きるので就職氷河期は来ない」とされている。学生時代からの起業も以前にも増して活発だし、働き方もますます柔軟になっている。しかし、この耳触りのいい言葉は、前にも聞いたことがある。まさに就職氷河期まっただなかに聞こえてきた言葉そのままだ。「負けてなどいない」と言うことは、実は何も変わってないのではないか? (こんなことを言うのは、正規ルートから外れてる自分としては、セカンドレイプ的な苦しさがあるのだけれど)
自分のいる社会は、過去に愚かなことをした。そこで暮らす自分も愚かなことをするかもしれない。だったら、そうしないためには何をするべきか? そんな想像力を働せるには「愚かなことだ」「負けた」と認めなければ始まらない。理由がわからなければ、対処しようがないからだ。
『敗戦後論』ではただの事実として描かれているのだが、戦後すぐには「明治人」「大正人」「昭和人」がもの言う世代として同居していた。その状況、ある意味では今に似ている。つまり、まだチャンスは残されている。しかし無限ではないし、個別の死はすぐ隣にあることもまた事実だ。25年後、わたしがまだ生きていたら、敗戦100年目に何を言っているだろうか。もう少しマトモなことを言っていると良いのだが……。(そしてその頃、就職氷河期世代が「定年」を迎えることになる)