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ある名もなき俳諧師の話

こんなニュースがちょっと前にありました。

寺の墓地、国税が差し押さえ 税金滞納で異例の公売:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASN5V7FLQN5VOIPE017.html

当事者の方々が心を痛めているのは言わずもがなですが、わたしも哀しいと感じました。資産運用でうまくいかなかったのは「お寺の経営をなんとかしようと思った」という、真剣な理由だったので、やるせない気持ちでいっぱいです。

でも、実はあまり驚きませんでした。それは、自分の曽祖父が神社を借金の抵当にとられた話を知っているからです。「そういうことって、あるよね〜」と。代々、宮司をしていたそうですが、その神社は山ごと、大正時代に終了してしまいました。

理由は、俳諧にのめりこんだからです。宮司親子2代にわたり、お弟子さんと一緒に俳諧の旅を重ねて大盤振る舞いをした結果、借金のカタにとられてしまったらしい。全国にいくつか、句碑が建っていたそうですが、きっと今では、草木が繁っていたり、朽ちて土に返ったりしているのでしょう。

その後、曽祖母の才覚で青物問屋として再興して、最終的に玄孫ができるまで至ってます。が、一家を大変な目に遭わせた俳諧について触れようという家族も少なかったのは残念なところ。祖母の姉だけが句碑の場所をまとめようとしていたところ、痴呆が始まり計画が頓挫。すでに鬼籍に入っています。

そんな話をことあるごとに聞かされてきたわけで、「俳諧」という響きに、なんとなく後ろめたさと胡散臭さを感じていました。観光しながら、句をひねるだけの旅で身を持ち崩すとは……。(本当は別のことに夢中だったのでは?などと考える始末)

しかし、今日は「俳諧がやめられない」という現象に納得しました。

ゲンロンカフェで安田登さんと山本貴光さんの「禍の時代を生きるための古典講義――第3回『おくのほそ道』『鶉衣』を読む」配信を観ていたのですが(有料・タイムシフトで1週間公開中→https://ch.nicovideo.jp/genron-cafe/live/lv326432214)、そこで語られた《おくの細道はTRPGだった》という安田さんの案内がたいへん魅力的。おそらく初めて「俳諧」の魅力を理解することができました。もちろん、芭蕉などとは比較にならないほど無名な曾祖父たちが同じだったとは言いません(明治〜大正の世の中ですし)が、「ただ景勝地に行って一句ひねるツアー」ではなかったことは確信しました。

二次元的な想像力と知性、霊感的なものが交わったところで快楽を求め、終わらないゲームを楽しみ続けている。しかも、仲間たちと。

これは……もしかして……玄孫のわたし、日常の風景なのでは……?

血は争えないという言葉は、あんまり使いたくないですが、仕方がありません。まったくもって、その通り。「血は争えない問題」は他にもいろいろありますが、とにかく俳諧について、もっと深めたいなぁ。

サードプレイスは幻想か

「米スタバ、持ち帰り・デリバリーへのシフト加速 「コロナ後」見据え」https://forbesjapan.com/articles/detail/35150

さんざん「サードプレイス」を掲げてきたのに、ひどい方向転換だ。企業が決めたことなので、抗議するわけではないけれど。学校でも、家でも、オフィスでもない「自分の時間」を過ごせる場所。結局のところ、それは外側に依存していただけで、自分で制御できなかったのだなと打ちのめされる。

スタバだけの問題ではないし、日本でも同じことだ。カフェあるいは喫茶店は豊かな時間を提供してきた。多くの人にとって、息を吸うように自然なことだったので、無くなることを考えていなかったのだ。

居酒屋やファミレス、カラオケの深夜営業について、継続的に取りやめるところが増えている。

仕事で遅くなった(という言い訳をしたい)時、いる場所がなくなってしまう。「ちょっと、今日はこのまま帰りたくないのだが……」という時に、フラッと立ち寄るのが難しくなる。そこまでの決意を持たねばならないことだろうか。

Photo by Khara Woods on Unsplash

実際に、そういうことが起きている。

わたしはゲンロン主催のスクールに通って、かれこれ3年ほどになるが、その二次会の重要拠点のひとつである居酒屋が閉店になってしまった。周辺では動揺の声があがった(自分自身も瞬間的にMLへ投稿していた)。この衝撃は、まだ尾を引いている。

そして先日、22時過ぎのリモート仕事を終えた後に困ったことが起きた。自分に「お疲れ!」を言うための小腹を満たす・一杯をやる店が、どこも空いてなかったのだ。「せっかく頑張ったのに…くぅっ…なぜ…」と、昼も食べてなかったので空腹がたまらず、コンビニで飲み物とつまむものを購入。夜の公園で一人飲みである。

世の中には、「おうち◯◯」や「#StayHome」を避けたい人もいる。けれども、家族の絆を声高に言う人が増えれば増えるほど、そういう声が消されていく。

仕事のデキる素敵な人が「なんか最近、在宅になってコーヒー飲まなくなりましたね。あれは結局場所を買っていたんだと思う。もったいなかったかも。いまは家でプロテイン飲んでますよ。家族との時間もできたし。もう、こういう働き方がいい」的な話をしてるのを聞いた。いいなぁ。勝ち続けている。

もちろん、本当に幸せな時間が過ごせる人は構わないのだ。家でも一人になれるだけの理解と、スペースがある人は、そのようにすればいい。そしてたまに、特別な時間を過ごすのもいいだろう。

けれども、それはやはり、限られた人だけの贅沢である。だからこそ、飲み食いをしたり、価値観を共有するための公共の場所が必要だったのだ。

民主主義はカフェから始まったと言うけれど、今回わたしは時代劇を思い出した。屋台や茶店、蕎麦屋でなら町人と侍が話をする(茶事も似たようなことはあるが、それは招かれなくてはならないのでこの場合は当てはまらない)。いま、時代劇チャンネルで流れているドラマの数々は、民主主義が産んだフィクションなのかもしれない。

わたしはいま「家」でも「会社」でもない場所でこの原稿を書いている。いちおう、サードプレイスを確保しているわけだ。他人から見れば、馬鹿なことだろう。家賃と二重に場所を支払い、在宅勤務ならしなくてもいい出費をしている。けれども、わたしが辛うじて生きてこられたのは、サードプレイスのおかげだ。これは幻ではない。幻想にしてはいけない。

だからと言って、わたしに今できることは少なすぎるのだが……。このような場所で過ごして生きていくこと。これは本当に、続けていこうと思う。

2020年のブラックホール

Photo by Hello I’m Nik 🎞 on Unsplash

ここ2〜3ヶ月ほどのあいだに、使いたくないワードが増えてきた。謎の造語がの増殖力がすごい。このままどんどん膨張していき、しまいには無になるのでは、などと思ってしまう。

もちろんすべてを調べているわけではないのだけれど、英語と日本語で、それらを使うときのモードが違うということに気づいた。日本語は、「わたしが〜します」「わたしが〜しよう」ではなくて「〜を守る」「〜してはいけない」が強く働く社会で使われているようだ。

たとえば、social disancingだ。「ソーシャルディスタンシング」のことを、日本でもはや「ソーシャルディスタンス」としか呼ばなくなってきている。

近い将来、特に地方の差別を取材した記事で「日本人があえてソーシャルディスタンスを使った理由」などというタイトルで記事にならなければ良いなと思う。もちろん、非英語圏ではこのような使われ方になりやすい。英語圏でもsocial distanceという語が使われてもいる。特に本邦の場合は単純に語感の違いでこうなってしまったわけだ。それにしても、根本的な違いがあると思われる。

それは、謎の造語にも表れている。

◆「三密」密だ・である」「密な」
サンミツか、ミツミツか。いずれにしても、わたしは使いたくない。厚労省の見解によると以下の通りだ。
1)[密閉された場所]……窓やドアが開いていない、風通しの悪い場所
2)[密集した場所]……人がたくさん集まっている場所
3)[密接した場面]………人と人との距離が近い場面

実は英語版も作っているのだけれど(3Cと呼ぶそうだ)、この手のイニシャルをとった形式は、英語にしても意味がないと思う。日本語話者にとっても、本当に効いているのか疑問だ。
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000615287.pdf

◆夜の街
ただの職業差別用語。当然ながら、夜だけに発生するウイルスではない。今は陽性とわかった人のうち半分にも満たない人が「夜の街で●人」と謎のカウントをされている。

◆クラスター班
「これを避けよう」という、集団リンチ・ヒステリーの一歩手前を作り出している。差別の温床。血眼になって「クラスターをつぶす」と言っておきながら「差別はよくない」と言うのは現実からすると卑怯な話だ。

他にもいろいろ。賛否両論あるだろうけれど、わたしは使いたくないので否定的なコメントだけ載せた。いずれにしても、これらは「してはいけないこと」を挙げている。「●●を避ける」というだけで、何をすれば良いのかはわからない。

じゃあ何をすればいいんだろうって考えてみた。

もしかして、「ちょっと離れてみる」ぐらいのことではないか? 「三密を避ける」が意味するのは、要するに「ちょっと離れてみよう」なのだ。

公式見解やいろいろなところで「三密の発見が日本モデルを支えている」と強調しているけれど、一周回って実際にできることは「ソーシャルディスタンシング」という世界共通の考え方に近い。

要するに、どの国も同じようなレベルのことしかできないのだ。

ハッシュタグの快感、その行方【改】

Photo by bady qb on Unsplash

「#MeToo」は、たしかに世界を動かすコピーだった。良いことも、悪いことも加速させた。あらゆる物事にはいい面も悪い面もあるが、暗黒面にすぐ落ちてしまう。特に昨今のハッシュタグの使われ方は酷い。どの主張もおよそ、吊し上げと変わらない。

言葉は人を救うが、殺めることもできる。近ごろは、そのおそろしさを知っているはずの人まで、ためらいを見せずに、強い言葉を発している。わたしは、そこにたいへんな違和感をおぼえている。

声を上げることの暴力性を意識している人が、強い声を上げる。ということはつまり……「それ」への暴力を認めるということだ。その名前の付くものには何を言っても赦されると思っているのだろうか。

たとえば。「電通」への言及について。このことを書くと、嫌う人がいるだろうなぁとは想像がつく。片方からは「擁護するな」と。もう片方は「野暮なことをするな」「端くれで業界人ヅラするな」と。わかっていて、あえて書いている。

たしかに、過去に何度も過労死を出しているのに隠そうとするとか、ハラスメントがなくならないなどの問題は、社会のそこ彼処に存在している。「電通」固有の問題ではない。他の業界や会社、無数の組織がやっていることだ。つまり、ここ(特に日本)は、そんな社会なのだ。これを変革したいという気持ちの表出だとしても、この「なぶり方」は正しいのだろうか?

むしろ、雪崩式に行われることによって「そうしたものが何故なくならないのか」がよく見えてしまう。けれども発信者は、そんなことをしたいわけではないはずだ。「正しいこと」をしている。そう、だからこそ、ちょっと考えてほしいのだ。誰かが命を断つ前に。


抽象的な話をしても実感がわかないだろう。いくつか、業界の中の話をしたい。

広告代理店、あるいは広告制作会社には、いろんなイメージがあるだろう。しかしその本質は、基本的にサービス業である。内訳は「制作側」も「営業側」に分けられるが、どちらも目の前のクライアントや世の中の人に喜んでもらうための仕事をしている。

特に、省庁や自治体の仕事は「必要とされている」ことでモチベーションを保つことができるものだ。はっきり言って、簡単に利益が出せる仕事ではない。

入札で適正価格を、と言うけれども、そもそも国や自治体向けに、通常価格では受注できない。およそ予算は少ないから。もし世の中で「それが適正価格なのだ」と言うのであれば、どんどんデフレは進むだろう。そもそも入札のために制作した提案にも費用がかかっているが、多くはプレゼン費用が出ない。

いざ、受注となってからも大変だ。おしなべて担当者とのやりとりは行政文書的で、難航する。社内・協力会社のスタッフも疲弊する。ちなみに全ての作業を社内で行えるような会社は存在しないはずだ。もしできるとしたら、恐ろしい。

そんなわけで(わたしは直接存じ上げないが、おそらくは)、持続化給付金のサービスインにかかわった人は職種に限らず、自らをエッセンシャルワーカーであるという意気込みで携わっていたはずだ。いろんなところで不具合が起きた(ている)のは、医療ミスと同じぐらい致命的なことだ。けれども、それをいたずらになぶり続けることで解決しない。医療ミスを考えればすぐにわかるだろう。

それからひとつ、伝えておきたいことがある。実は、利益率の低い仕事を代理店本社で請け負わないのは、長時間労働反対の訴えの結果だ。だからそこを攻撃するのは、実はロジック的には矛盾している。本社で行うのは「極めて筋のいい仕事」が多い。時間も社員の数も限られている。全体的にクライアントの予算も減っていて、社員の工数管理に見合うものが減る。それがダメなら、会社の機能が成り立たなくなる。その結果が、外注に頼るということ。外注するのもダメだというなら潰れろというのか?…と穿った見方まで出てきても仕方がない。

そもそも、広告業界など、業界全体がクライアントから受注することで成り立っているもの。日本の企業の仕組みをドラスティックに変えようとせずに、代理店の異常さを煽っても何も産まない。(海外のような競合禁止を貫くのなら、中小企業を減らさないとダメだが、それは日本の社会にとって本当にいいことだろうか?)

ちなみに、「電通はダメだが博報堂はいい」という話はデマに乗っかっているにすぎない。そもそも長時間の打ち合わせは博報堂の文化。多くの人の目が電通に行っているので、気づかれないだけだ。……もっとも、博報堂はそうした戦略でカバーリングをしていると言えるのかもしれないが。それは、ただ着ぐるみでごまかしているに過ぎない。


しかしわたしは、ある意味ではラジカルな考え方の持ち主だ。システムを滅するという観点では、こういうのはいいかもしれないと思う。念のため言っておくと、提言などではなく「想像してみた」というレベルのものだ。

代理店は公共の事物の一切に関わることなく、すべての業務を直取引にする。

おそらく現場は疲弊するだろう。 もともと公務員の数を減らしていたところでもあり、大パニックが想像される。

もちろん、そうした業務に適した人はいるかもしれない。しかし、それに没頭していたら、元々していた業務ができなくなる。外注するのも、ひと苦労だ。

(Aコース)
現状の仕組みを変える。
自治体や省庁の1〜2年交代の持ち回り廃止。
なぜなら、現場がわかる人間がいないから。
体制づくりをするにも、人が足りない。
広報・制作業務の専門職を作っちゃおう。

コミューンの香りで面白すぎる。わたしはそんなものに入りませんが。

(Bコース)
良いものを作るとか周知してもらうとか、
あんまり関係ない。
わかりづらいと言われても、読んでわからないのが悪い。
時間を割かずに片手間で済ませよう。
名称とかロゴは市民・国民から集めればいい。
タダとか賞金数万円で済むから全部公募にしよう。

Bコースになる流れでしょうね。なんでも公募すればいいって感じだから。

しかし、これでもまだヌルいかもしれない。

国や自治体の業務に、民間が関わるときは利益を考えないこと。

これが、答えだろうか? もちろん、そういうことにすれば、みんなの気持ちは収まるし、当然、政治にかけるコストも低くなる。もしかしたらいいことかもしれない。ただひとつネックなのは、いま以上に社会への関わりを意義あるものに感じなければ、誰も得をしない制度。「関わった」という満足感を搾取するだけではないか。活気のない世の中であれば、ますます絵にかいた餅になり、誰も触らずカビが生えていく。もっと悪いのは「能力があるなら貢献せよ、さもなくば生きる資格がない」などと言い始めることだ。


さて、ハッシュタグの話に戻ろう。たまたま、ここ数日のトレンドについて述べたので「電通」の話になったのだが、業界ネタを書きたかったわけではない。

たかがハッシュタグ。されどハッシュタグ。「me too」ではなく「#MeToo」が重要だったのは、集計と検索がしやすいハッシュタグがついたからだ。このハッシュタグは、社会を動かすための機能ではない。これはラベリング。誰が何を言っているのかをわかりやすく、見つけやすくするための機能だ。

本来的に、多くの人はラベリングをすることに快感を得るものだと言われている。感覚的にも、同じように分類されたものを見るとわかりやすい。本能的に身につけてきた把握する力だろう。そして、仲間を見つけると安心をする。アーカイブ的な機能に加えて、共感を大切にするという意味でも、SNSにおけるハッシュタグは、人に快感を与えてくれる。

そして、「#MeToo」が持つ「わたしはここにいる(た)」という主張は、手を挙げる行為と分ちがたい性質を帯びている。もともとの世界と結びついていたからこそ、爆発的に増えたものだった。だから、もしも「#MeToo」というハッシュタグとともに猫の画像を掲載したとしても、何の意味もない。そのような空虚なもので数を増やしても意味をなさない。なぜならば、数を増やすこと「だけ」に意味を持たせることに反旗を翻そうという試みでもあったからだ。

冒頭にも述べたが、言葉の力を知っている人の、悲しい行為を何度も見た。それらが強いからだけではない。それ以上に虚しさが募るのだ。「もう言うことがない」けれども「このハッシュタグをトレンドから消してはいけない」からと言って、無関係な画像や内容を掲載したハッシュタグ付きの投稿を上げるのは、どうしてだろう。それがおもしろ投稿ではないのだ。本気である。だからこそ、もうダメじゃないかと宙を見てしまった。言葉の力など、息も絶え絶えになっている姿がそこにあった。

ハッシュタグで刻む言葉は、つまるところ、空にむけて掲げる手と同じである。一見すると、何も事をなすわけでは無い。しかしその手は「たかが」では済まされない。他の言葉と同じように、いつでも暴力性を秘めている。人を動かす可能性も秘めている。

そのとき、あなたは、こぶしを突き上げるのか、振っているのか、どうしたいのだろう? その場所は、ライヴハウスか、道端か、車窓から? どこでも誰にも迷惑をかけない、というわけにはいかない。目立つな、外が見えない、目障りだ、そう思われることは大いにある。それでも声を上げなくては、と思ったら、声をあげればいいのだ。それを止めることは、誰にもできない。

だからせめて、どこで、誰に、どのように向けているのか、自覚的でありたい。「ただの暴力」にならないために。