怒りの正体_2020年3月4日
今日は仕事の打ち合わせで、苛立ちを隠せなかった。どんな理由であれ、あんまりいいことではないと思ったから「どうしてこんなに苛立っているのか」核心の理由を探ってみた。解決できれば苛立ちを抑えられるかもしれない、と思ったからだ。
「説明がわかりづらかったから?」「 意に沿わない仕事だった?」
たしかに、それもある。しかし、それだけじゃない。
COVID-19(新型コロナウイルス性肺炎)の与えるインパクトを抑えるために、あらゆる手立てを考え、実行していこうという案件。それに、異議はない。むしろそうしなければ。
だけど……「いまするべきなのは〈それではない〉」と強く思う仕事だ。それを強制されるのは、心が折れそうになるのだ。さらに、こちらは不快感を共有したいのではない。「別の〈これしかない〉ものを考えませんか」と言うチャンスもないまま仕事が進んでいて、萎えてしまったのだ。
同時に哀しくなるのは、気持ちに嘘をついたままでもなんでも、案件化しなければ、売上が立たない、むしろ、そこは取りこぼせない位置で仕事をしているということ。まさに、あの「置かれた場所で咲きなさい」そのもの。俗っぽい話で紹介するのも気がひけますが、シスター渡辺和子が生前記した新書のタイトルです。
あげくの果ての、レイシズム。理解不能な論をもとにオリエンされたら、そりゃあわたし、怒りますよ。
ここまで書いて、思った。やっぱり、この「怒り」は売り渡してはいけない。むしろ、怒るのは当然のことだ。置かれた場所で地に根を張るのも、水やりにも疲れたら、たんぽぽの綿毛のように飛んでいきたい。