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あなたが思うほど「発達障害」は受容されていないが、特殊でもない

4月2日は「世界自閉症デー」だった。そこから1週間(4/8まで)は「発達障害啓発週間」に充てられているのだが、多くの人にとっては他人事だろう。

時を同じくして、新入社員と思しき姿とすれ違うことも増える時期だ。

社会でどうやって生きていくのかを考える材料として、ロールモデルを探すのは一番手っ取り早い。「●●みたいになりたい」と思えるかどうかは切実な問題。もちろん、ロールモデルなんて要らない!という強い気持ちも必要だけど。

そんなところで立ちはだかるのが「発達障害」である。すでに自覚している新社会人は不安を抱えているはずだ。また、社会人に出て「もしかして自分、普通じゃない?」と気づく人もいる。

※この記事はわたし(筆者)の経験値で書いているので、医療的なことは何も言えないことを最初にお知らせしておきます。

ちなみに、「もしかしてこれは発達障害なのでは」と思って不安になるとか、落ち込むようなことがあれば(脳は問題ないのにただの怠惰と言われるのが怖い状態も含めて)、あなたがするべきは本を読み漁ることではない。とにかく病院へ行こう。話はそれからだ。セカンドオピニオンを受けてもいい。発達障害であることが重要なのではなくて、診断をつけることは大事。

なかなか病院に行くのも忙しいし、壁を感じるということも理解できる。そこまででもないかなぁ、と思いながらぼんやり気になる人もいるだろう。何はともあれ、そういう状況にいる人が「わたしも凸凹な人です」という表現に出会ったら、救いになる。最近では発達障害関連のブログや書籍が多いので、心のお守りにする人も増えているはず。

たしかに当事者以外にも興味をもたれるということは、確かに無視されるよりはマシ。でも結局のところ、「発達障害あるある」を許す雰囲気は、代償行為の結果として機能している。「XXができるから、YYが許される」だけ。つまり、XXができないなら、YYは許されない。

ここ最近(主に首都圏の状況しかわからないが)、学校を出るまでの「療育」や「合理的配慮」の観念は浸透してきている。でも、学校以外の場所では、おそらく20年ぐらいほとんど変わっていない。身も蓋もないけれど、それが実情だ。

もちろん、パラリンピックに協賛できるぐらいの大手企業で、正社員ならば、それなりの配慮もあるに違いないし、しかるべき手順をふめば「障害者採用」も受け付けているはずだ。しかし、それは、ごく一部のことでしかない。ほとんどの大人は、そういうものの外で生きる必要がある。

だから、最近増えている下記のパターンを見かけると、居心地の悪さを感じる。けっして嫌なのではない。ましてや、ひがみでもない。ただ、若ければ若いほど、過剰な期待を寄せてしまうだろうな、と思うのだ。

パターン①不思議な配偶者
「不思議ちゃんだけどかわいい(はあと)」って思ってラブラブだったが、いざ一緒に暮らすと生活力のなさが破壊的。いろいろあるけど、やっぱり仲良し♪

パターン②型破りなクリエイター
なんだかわからないけど不思議な魅力がある。事務的なことが得意な友人や秘書に囲まれて、才能だけを伸ばして生きてるカッコいい人。

当然のことだけど、誰もがぴったりのパートナーに出会えるわけじゃないし、誰もが天才的な仕事ができるわけじゃない。定型発達の人がすべて、特性を生かした仕事ができているわけじゃないのと同じことだ。

というより、むしろ、就活や新人のときに「普通のことが普通にできない」ことはたいへんなマイナスになる。研究職などはよくわからないけれど、一般企業において、秘書的な人をつけてもらえるのは役職が上の人だけだ。むしろ、それこそが「まず覚える仕事」であることが多い。そこでつまづいたら、試合終了……になりかねない。

みんな最初はできなかったけど、やってるうちにできるようになる物事が、普通にできない。それは修羅の道である。もちろん何がどこまでできるのかは人それぞれだし、全部できないわけではない。「普通にできない」という状態を言い換えれば、一般にカンタンとされる仕事を、120%超え、時には200%の出力をすればできる……ということなのだ。

わたしの個人的な経験に過ぎないし、いままでしでかしてきたいろんなことが許されるなどとは思ってないけど。

療育がノーマルになってきている学校社会から外に出るときに、期待しすぎないでほしいな、と切に思っている。(特に親御さんへ)

脅すつもりではないけれど、地に足のついたロールモデルに出会えるといいね。……と、心から願っています。もっとも、わたしも未だに模索中なのでエラいことは言えないのですが……。

Photo by Leonardo Wong on Unsplash

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