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それ、本当にカッコいいですか?

今わたしには、とても不思議なことがある。

どうしたら、オリンピックの開会式で『AKIRA』をモチーフにした演出を「カッコいい」と言えるのだろうか。

あの文春砲とほぼ時を同じくして流れてきたのは、バレンティノのニュースだ。もしも、あのビジュアルを––帯(のように見える反物)を絨毯のように敷いたことが文化盗用・冒涜だというのなら、この演出も同じ類のものだ。それと同じくらい、ひどい扱い方をしている。

いろんな人に好評を博したというその演出だが、抜き出したコンテだけでは、そんなに良いものかどうか判断がつかない。強烈な違和感があるのは確かだ。あの赤いバイクが乗り入れた瞬間を想像するだけで、文脈的にイベントが成功しそうにない印象を与える。

そもそもの前提として、「使わないでくれ」と思う人だっていることは想像に難くないのはもちろんだが、ファン心理とは少し別のレイヤーで奇妙な企画である。

『AKIRA』で金田がバイクを走らせるのは、ネーション的な構造、権威なものから逃れるためだ。個人の自由のために走る。ネーション的な平和の祭典にやってくるのは不穏極まりない。もしくは作品世界の改変。そもそも作中で登場するオリンピックスタジアムは……たいへんなことになってしまうわけで。

もちろん「オリンピックなど破壊してしまえ」という思想であれば理解できる。ただ、成功させようとする人のプレゼンとは思えない。4年前、リオの閉会式を低予算で成功させたチームの一員に、まさか破壊的な衝動があったとは考えにくい。そうなると、いったい全体どういうことなのか、首を傾げてしまう。

歴史に「if…」はないのだが。もしも、今回出回った演出案がそのまま発表されたとしたら、それはそれで「うわぁ……」という声があがっていただろう。

もちろん、どちらにしてもクライアントが決めることだ。

リオの閉会式から続いている一連の流れを思えば、このタイミングで外野が騒いで何がしたいのか、ちょっとよく分からない。多くの人は、騒動が起きるまで関係者のことをほとんど知らなかったはずだ。

きっと多くの人が、興味本位でしかないのだろう。

(下記は、参考までに)

https://www.fashionsnap.com/article/tokyo2020-presentation/

ちなみに、このあいだの大阪万博のロゴ公募で落選作を発表してたものが一部では話題になったのをご存知だろうか。マーブルは「あわい」という言葉を連想させる。谷崎潤一郎的な「上方」の雰囲気を感じた。でも、「今発信したい大阪」は違っていた、ということなんだろうな。選ぶ、選ばれないとは、それだけのことだ。

いまや、多くの人が文春砲を待ちわびている。

日本には、公安なんて要らないのかもしれないな。

「自分が知ってるあれって、いくらぐらいで買ってくれるんだろう? 社会の役に立てるならいい」などと考えるかもしれませんが、 悪手だと思う。どうせ、みんなすぐに忘れてしまうから。

それにしても、『Number』は逃げるのがうまい。4月1日号が「20年目の原巨人」とは。ベテランの逃げの姿勢を感じてしまう。ジャイアンツが好きな人は気にしなさそうだけど。いま全霊をかけてやるべきは「オリンピック」ではないか。

『Number』といえば、表紙は当然大坂なおみ選手だろうと思ったら「将棋はスポーツ」と題した変化球の特集が出たことがある。そんなの偶然だろうけど、巧者だ。避けるのがうまい。

センセーショナルなことばかりではなくて、やるからには徹底的にやってほしいな。難しいだろうけど。

https://number.bunshun.jp/

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