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令和元年は春を知らない

「令和」という文字を見続けていると、「ツンデレ」としか読めなくなってくる。

およそどれだけの人が「令」の文字に「(何事をするのにも)よい」という意味がある、とすぐに思い至るのだろうか? むしろ、レ点を付けて「和をせしむ」と読んでしまう人も多いのではないか? 

「令」の字を「れい」と読むと、およそ「上の者から下の者への指示」が思い浮かぶだろう。伝令、命令、指令。あとは、使い方は違うけど「令嬢」「令息」といった、称号の類。よく言えば凜とした、俗っぽく言えば「ツン」そのものだ。

「和」に関しては、「和み」とか「平和」とか。「和らぐ」だって割と使う。要するに「デレ」だ。

「ツンデレ」は言い過ぎだろうか。それでも語感としては、凜とした中のあどけなさとか。理性と感性の揺らぎとか。そうしたイメージが強い。

これは、実はとても意味があることだ。この元号を使うのは現代の私たち。この2文字を見たときに、現在を生きる私たちがどのような想いを抱くのか、それは最強のキャッチコピーになる。

『万葉集』が出典元との記者会見があった。梅見の宴で風流を詠んだ歌の序文であると。その序文が、これだ。

[天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和。]

一見してわかるように、これは漢文の読み下しだ。「天平二年の正月十三日に、帥老の宅に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)ぶ。時に、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(よ)く風和(やはら)ぐ」――つまりは――「太宰府の長官だった大伴旅人の邸宅で宴会が開かれた。初春の正月ということで、澄み渡る、風の穏やかな日だった」といった意味。

▼ちなみに、本当のところは、「日本の古典に『も』由来する」ということで専門家の意見はまとまっているそうだ。https://www.asahi.com/articles/ASM4154Z4M41UTFK00Z.html

たしかに『万葉集』は日本で最初の歌集であり、庶民の歌も収められている。そしてこの段では、大陸の文化がなかったら成立しなかった梅見の宴を題材にしている。これを漢字で書き留めるという連環を大切にしたい。

つまり、日本の文化は大陸の文化と分かちがたく育まれてきたのだということを思い出させる。国粋的な立場・国際的な立場の人も、どちらにも配慮した、鉄壁のシステムで出来上がっている凄さがある。

これを思うと、「和を令しむ」とのダブルミーニングではないか、との考えを捨てることはできない。

というのは、組織に長くいると、思うことがあるから。平和はやはり「心がけ」や「心ばえ」だけでは訪れない。戦略的なシステムと態度があって、平和は保たれるのである。

しかし、そもそも本当の「ツンデレ」は戦略的ではない。「ツンデレ」はするものではなく、なってしまうものだ。

令和は、その由来が「春」にあるのに、まだ春を知ることもなく、夏盛りを迎える。自らの由来を知ることのないまま、行く年来る年を重ねていく。

つまり、ダブルミーニングであることにも気づかずにいるのが一番怖い。平和的ファシズムが進んでいくのと変わりない。

私たちは平成が終わる頃になってようやく「平成が何者だったのか」を振り返るようになってきた。じきに始まる令和という時代は、もう少し元号のことを、その背後の制度について、思いを巡らす必要がある。せっかく考える時間が与えられたのだ。

そう、私たちにはすることがある。そのツンデレを、もっと可愛がらなくてはならない。「……っ、そんなことない」と言いながら、軌道修正をしていく。それがツンデレというものだ。

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