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呼ばず語りの国で —–COVID-19-あるいは—–

起きぬけにスマホをチェックするとコロナ。ブラウザを立ち上げてもコロナ。テレビをつけてもコロナ。人と話してもコロナ。ほんの数ヶ月前に「コロナ」と言えばビールだったのに(暖房器具の人も、太陽を思い出す人もいるかもしれないが)、とにかく世の中は変わってしまった。言うまでもない。新型コロナウイルスの話題で、みんなが大変だ。

Photo by Claire Mueller on Unsplash

COVID-19 vs. XXXXX

日本ではいつのまにか、そのウイルスを「新型コロナウイルス」と呼ぶようになった。本当の名前は「COVID-19」なのだが。まるで、WHOが決めた正式名「COVID-19」など存在しなかったように、自然とそう呼ばれている。

もちろん他の国でも「新型コロナウイルス」という言葉が使われている。ただ固有名詞としては「COVID-19」が優勢。見出しやタグで使われるのは「COVID-19」あるいはそれに準じる表記。かたや日本では「新型コロナウイルス」が名前のような振る舞いだ。

試しにやってみた。Googleでの検索結果で「COVID-19」を日本語で検索しても厚生労働省の日本語ページは上位にヒットしづらい(2000/5/13時点)。WHOの特設サイトのほかは、民間有志のものだ。あの山中伸弥教授の個人サイトが2番目に出てきたこともあった。「新型コロナウイルス」だと圧倒的に厚生労働省のいろいろなページをおすすめされるのに、不思議な感じはある。

(もちろん、検索結果は一過性のものなので、参考程度に)

実際に、あなたも「コロナ」「新型コロナ」に比べて「COVID-19」と言うことは珍しいだろう。日本語で「コヴィッドナインティーン」とか「コビッド十九」とか呼ぶのは長い。視覚情報として「COVID-19」と付けておくこともできたはずだが、言文一致だろうか? とにかく定着しなかった。それ自体は、単にそうなってしまっただけだ。しかし、名前のつけかたひとつで、社会の状況がよくわかる、ということは言える。

日本では正式な名前は捨てられた。しかも、代わりに使われたのは、日本ならではの何かではない。「新しいタイプのウイルスの一種」という普通名詞的な呼び名である。このことは、ささいなことではあるが、実は重要なことでもある。

固有名詞の書き換え

この誤差は、少なくとも2月の初旬には生じていた。実は仕事でこのウイルスに関する広報資料を扱うことがあったのだが、海外のリリースを翻訳するにあたり「COVID-19」としていた箇所を「新型コロナウイルス」に書き換えることに。個人的に違和感をおぼえたので記憶に残っている。やりとりはおよそこんな感じだ。

「呼び方定着してないので、WHOにあわせたら良いのでは。文字数も少ないので」と質問した。(ウイルスそのものの話ではなくて感染症のことを言ってるのこともあった)
返事は即答。「いや、わかりやすく新型コロナウイルスで」と。こちらの違和感は拭えず、コロナウイルスも専門用語だからわかりづらい、それ自体はいっぱいあるので、不正確だと問いかけた。すると修正指示がくだる。
【一括変換の後、お手数ですがレイアウトのスペース調整してください】
おおぅ。
こちらは修正がめんどくさいと思ったわけではないのに……さぞかし、めんどくさい奴だと思われたらしい。

和製英語はこのように生まれるのだ。
もちろん、悪いことばかりではない。

ただ、意味合いは変化する。やはり「名付け」という行為は、記号論というジャンルでいろんな人が指摘している通り「意味づけ」である。特別な名前、何者にも替えがたいもの。それは人との関連性を生む。名前があることで、他と区別する。そして自分との間に、特有の関係を作りあげる。まるで関係のない世界の一部が、にわかに眼前に現れるのである。人は名づけを増やすことで世界を拡げていける生き物だ。

書き換えがもたらす変化

それなのに。「新型コロナウイルス」と目にするたびに、聞くたびに、日本語での認識は「新しいタイプのコロナウイルスの一種」である。
《どうやら新型のウイルスらしい……インフルエンザみたいな……新型インフル?……まぁとにかく新しい……致死率もそれなりの……》こんな調子で「なんだかとにかくやばいらしい」ということが滲み出ているわけだ。

これを「わかりやすい」と思う人が多い。だからこそ、現在の状況がある。「とにかくやばい新しい奴」と思うことで安心させようとする。いわば、球技で自陣にボールが飛び込むの時に発する「来るよ!来るよ!」という掛け声のようなものだ。なんだかよくわからないものに対峙してる自分に、ちょっとだけ酔ってないだろうか。いや、それはさすがに悪意があるだろう。平たく言えば、連帯意識を高めることができるのだ。

いっぽうで、「COVID-19」と名付けると、向き合わずにはいられなくなる。価値判断は含まれず、ただ名づけられたという事実がある。だからこそ、自分にとって他の「よくわかんないけどくしゃみが出る」ではない意識ができる。それはたとえば、客観的に捉えようと心がけること。俯瞰的に考えてみること。自分は何を大切にしていて、何ができるか、何をしてはいけないか、自分を主体に考えることがしやすい。

いや、そうは言っても。もちろん、英文字だけではわかりづらい。頭文字をとって呼ぶ習わしは、なかなか身につかない。難読語のようなものだ。そんな時に比較してみたいのは中国語。こんな表記を見つけたので紹介したい。それは「新冠肺炎」である。言うまでもなく、北海道の地名とは関係ない。コロナは王冠状の突起があることだ。それを表している。つまり「新型コロナウイルスによる肺炎(症状)」を四文字で表していて、賢い。しかも「COVID-19」と同じ「8バイト」だから驚きだ。

誰が悪いとかではない。どの国と比べるわけでもない。事実として、日本での「名付け」が2020年5月現在の社会状況を表しているのだ。漠然と不安を語り、不安が語られる。

顔も同じく…

そして残念ながら、名前だけではない。いや、むしろ「名は体をあらわす」のだから同じことなのだろうが、ビジュアルも相似している。現物を見るのが手っ取り早いだろう。

この画像に見覚えがあるだろう。日本でも、流行の初期にはTVでもよく流れていた。CDCによる着色された画像である。

Photo by CDC on Unsplash

しかし、日本で最近多く見かけるのは、これではないはずだ。おそらくは……これだろう。

国立感染症研究所から提供

このボンヤリとした画像は、日本の国立感染症研究所が分離に成功したウイルスの写真。映ったまま、着色を施していない真の姿ではある。ただし、ここから何を読み取れるだろう? 門外漢から見て「なるほど」と思えるだろうか?

CDCの画像は、いろいろと盛っている。これが逆に怖いという面もあるが、同時に、発信しようという意図がある。受け取った側も、向き合わざるを得ない。

対して、グレーの電子顕微鏡写真。確かに、細かいところまで見えるのはスゴい。しかし、一体それで、何を伝えたいのだろう? よくわからない。特に何も意志はないのかもしれない。それであれば、わかりやすい加工を施しても良いはずだ。解像度のはっきりとした画像に囲まれている現在、このような画像は、漠然とした不安を感じさせてしまうものだ。

名前と同様、いやもしかするとそれ以上に、あからさまに日本での状況を表しているのである。

さて、最大の難問が見えてきた。
別の新型コロナウイルスが出てきたときに、この日本では、そのウイルスをなんて呼べばいいのだろう? 今はボンヤリと考え続けるしかない。新型コロナウイルスが、これからも発見されるのは当然だから。

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