基本的に本選びはあまり失敗しない。勘所を分かっているのか、失敗を認めたくないだけなのか、すべてのことを吸収しようとする貪欲さの現れなのか…それは定かじゃありませんが。タイトル、装丁、ある程度の立ち読みから総合判断している。そんなエラそうなこと言いつつも、読み始めてから「想像してたのと違う」ということはあるわけで。
昨年末の話。時間がなかったけどとにかくエンタメ的な世界に浸りたくて書店の棚をあさっていた。何気なく目にとまったのは、ダイ=シージエの『月が昇らなかった夜に』。名前は知ってるけど読んだことがなくて、『変わりゆく中国を舞台に描いた仏教版「聖杯伝説」』という紹介文のくだりで「あぁ『ダ・ヴィンチ・コード』的なのかなー」と判断したのだった。それが全く見当違い。読みはじめから読後までずっと、迷宮を歩いているようだった。
物語の起点は1978年(文革直後)の北京。清朝最後の皇帝・溥儀が持っていた伝説の遺物をめぐる物語。全体を通して流れる文章の雰囲気は、おそらく多くの人が「フランス文学」を思い浮かべて連想するものだろうと思う。中国の近現代史に興味がないとか、とにかく分かりやすいものが好きな人は読み進めるのが難しいのでは。
衝撃的な事件が続くのだけれど、ドラマチックであればあるほど、感情の起伏が抑えられているように思う。至るところで強烈な「におい」が立ち上ってくる気がして印象的だった。
作中で「日本」がロマンチックなこととは程遠い、無機質の象徴であるかのように描かれているのが気になった。ちなみに、翻訳者解説によると作者自身の日本に対するイメージは良好らしいですが。
仏教において「聖杯伝説」がどれほど話題にのぼるものなのか知らないのですが……果たしてどうなんでしょうか。
こんな風に、いろいろと考えてしまって純粋な娯楽小説を楽しむ気分ではなくなってしまった。この本選びは非効率的なんだろうか。コンピュータが裏の裏を読んで、こういうものを勧めてくれる日もやってくるのかもしれないね。Twitterで「おすすめユーザー」どころか「おすすめ本」を表示するとか。ね。それでも、本を手にとった雰囲気や感触で決めるという習慣も、電子書籍になったらますます重要になりそうだ。著者や出版社のオフィシャルサイトまわりへの印象や普段のTwitterでのふるまい、そもそもアプリの操作性の快/不快といったところも、購入動機として成立しつつあるような気がする。
『月が昇らなかった夜に』
ダイ=シージエ /著・ 新島 進/訳
2010 早川書房














