2011 年 4 月 26 日

エレクトリッキー

電子書籍ブームの声が一旦やむのかもしれないが、これまでとは違う形で電力を使うことになるのかもしれない。

……と一行だけ下書きしてほぼ一ヶ月、この投稿を放置してました。もはやどういうことを書こうとしていたのか分からない。

「それらしい」言葉でいえば失語状態。Twitterがにわかに「インフラ」として注目されて以降、わたしとTLの距離がやや遠くなってしまった。変だけど、なんかそんな感じ。この雰囲気は、9.11に似ている。あれからすぐ後、ほかならぬ日本で熱狂的な政治が酒池肉林の様相を見せたのがとても怖かった。カリスマ性があるか否か、人間味があるかないか……。そこはどうでもいいと思うんだけどな。

家では、「外で話してはいけないこと」として「野球・政治・宗教」の三項目について教えられてきたけど、これからは話さなければならないのかもしれない。漠然と。

もともと、原子力発電について色々思うことはあった。それでなんとなく距離を置いてしまった人間関係もあったように思う。だけどわたしはのうのうとエレクトリックな恩恵にあずかっていたわけで、何もこの事態への打開策は持っていない。今後おそらく死ぬ瞬間まで、この原罪のような感覚が消えることはないだろう。

都知事選には現実を見せつけられた。声が大きければよかったのか?啓蒙ってなんだか違うよな… 。そもそも、ただ盛大なシュプレヒコールをあげただけでは彼らと何も変わらない。やっぱり民主主義だしね。

2011 年 3 月 21 日

【東日本大震災と日常の記録@東京】その4

2011年3月11日金曜日に発生した、東日本大震災と日常の記録@東京・四日目。

3/14(月曜日)
あっというまに週明け。

昨晩まで西武新宿線は鷺ノ宮より西は運休と言っていたのに、朝になったら動いていた。びっくり。

計画停電が計画通りにいかないのは仕方のないことだと思う。むしろ停電てふつうは予告されないものだろう。

朝の電車はおそらく空調も切っていて「戦争中の車両」の様相。乗ったことないけど、闇市に買い出しにいくギュウギュウ詰めの車両ってあんな感じだったんじゃないか。

会社は早退。この週は、都営新宿線沿い在住の親戚宅から通うことにした。

帰宅して、すぐに移動。そこで気づいたこと。
JRは構内の電気は消灯している部分もあるが、車内は通常モード。駅テナントも基本的に開いている。対して西武新宿線は車内の空調を切っていて、ちょっと蒸し暑い。ペペなどテナントは休業。すべて各駅で夕方からは途中までしか運行しなかったけど、特別ダイヤを組んでその通りに動いているようだった。

夕方、親戚宅へ。

で、この週はなんとなくお客さんモードで。5日間、どうにかこうにかやり過ごした感じです。

2011 年 3 月 21 日

【東日本大震災と日常の記録@東京】その3

2011年3月11日金曜日に発生した、東日本大震災と日常の記録@東京・三日目。

3/13(日曜日)
「そういえば、植物の肥料がなくなってた」
と気づいて近くのスーパーへ。

そこで見たのがカラの商品棚。

完全に出遅れたのか、ムダなもの買わずに済んだのか、果たしてどっちだ?

スーパーの店員がささやく。
「放射能があれじゃないですか。奥さん、海藻が入ってるもの買った方がいいですよ。店の方にも、発注用のメールが回ってきてるんですよ」
わたしは奥さんでもないし、会社のヒミツ情報を知りたくもなかったけど。こういうのってどーなんだろう。まさかイソジンも大量に入荷するのだろうか。

わたしの家は計画停電の第一グループに。

2011 年 3 月 21 日

【東日本大震災と日常の記録@東京】その2

2011年3月11日金曜日に発生した、東日本大震災と日常の記録@東京・二日目。

3/12(土曜日)晴れ
一夜明けて、いつも出勤してくるぐらいの時間に帰路へ。ビルを出たところで、部署の違う女子と一緒になった。いや、女性と呼ぶべきかも。わたしは彼女のことを、勝手にマドンナ的存在だと思っている。きれいな人は、朝帰りも関係なくきれいなままなのだった。

山手線は内回りだけ動いていたので、東京まで出て中央線で新宿に。山手線がすし詰めだったことは言うまでもなく、東京駅に着いた時、ホームに人があふれていて降りるのが大変だった。そのまま西武新宿から各駅に揺られて帰宅。昨日のことを思えば、電車はほとんど通常どおり動いていたと思う。

最寄り駅に着いたら病院に行って、待望のクスリをゲット。新薬で2週間分しか出してもらえないのが痛いところだなーと思いつつ帰宅。そこでわたしはほとんど初めて衝撃的なニュース映像を見た。昨晩のTLで深刻さは感じていたつもりだったが、すでにバッテリーが5%をまわっていたので、必要最低限のメールしかしていなかった。

地震と津波、火事、その他色々な映像に飲み込まれそうだった。

阪神大震災のことが頭にうかぶ。

と思ったら原発に緊急事態が。やっぱり……。

2011 年 3 月 21 日

【東日本大震災と日常の記録@東京】その1

2011年3月11日金曜日に発生した、東日本大震災と日常の記録@東京・一日目。

会議室で外注のデザイナーさんと打ち合わせ中、とつぜん「揺れ」を感じた。最初のうちは「あれ? 揺れてる?」と目眩をしているのかどうかはっきりしなかったのだけど、波打つようにどんどん大きくなっていった。事務所は古いビルに入っているので、慌てて外へ。「おかし」を守れなかった。おさない・かけない・しゃべらない……。いや、出口を誘導したんだってば。

二度も大きな揺れがあるのが多分初めてで動揺。

Twitterを見たら関東近円から次々とTLが流れていくうちに、ただごとではないなと思い始めたのだった。頭の中にまず「原発はどうなってるんだ?」という疑問が浮かんだが、とにかく家人の様子が気になって連絡。メールで無事が確認されたところで、勤め先の防災体制が無防備だということに衝撃を受けた。けっこうな規模の会社なのに、連絡網が何もないなんて。

会社のPCは厳重なネット規制が敷かれているうえ、携帯のバッテリーを消耗させたくなかったので最低限の情報しか仕入れなかった。すぐに原発が爆発したということはないようだ、ということまで確認したが、当日は全容が分からないままだった。

色々と算段した末、郊外に住んでる自分には移動手段がなくて会社泊。デスクで寝ようとふんでいたところ、ふつうに夜通し働いてる人がいたので作業室に移動。パイプ椅子を3つつなげてベッドがわり。暖房はいまひとつ効いてなかったが、ショートコートをかけて横たわる。

花粉症のクスリが切れたとたんに鼻づまりとくしゃみ、目のかゆみに襲われた。まさか家に帰らないとは思わないから、今日飲むはずだった分が手元になかったのだ。これと隣の仮眠室から聞こえてくる笑い声やらテレビ番組の実況がうるさいのが響き、意外と寝ないまま朝を迎えた。

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