しまった。柏餅を食べていない。
いろいろあるけど、やっぱり履歴書を書いている。学生時代に初めてちゃんと書いて、あれほど書くことに苦痛を感じるのは、数学の答案用紙以来だと思ったものだ。
左側の欄にはトラップがいっぱいで、やっぱり何度か失敗する。
まず、物理的に。同じような文字や数字をたくさん書いてるうちに、ゲシュタルト崩壊をおこして混乱する。
1994・3・1997・3・1997・4・2000・3・2000・4・2004・3|2004・5・2007・4・2007・6・2008・9・2008・9・2009・3
これだけで、今にも爆発しそう。
しかも、漢字だって手強い。
横浜市立横浜市立神奈川県立神奈川県立東京東京東京……。
3D画像が見えてくる。
と言っても、それだけではない。
こうした文字情報は、自分のライフログ。だから理性が数字と文字で混乱している間にも、そのときの出来事や当時の感情を思い出してて、感情が蒸し返してしまう。27年間のあらゆるものがドバドバと流れ出てくる。学生のころより経験は増えているはずだが、A市にいたときよりも、現住所の記入でどうしようもなくなるということはなくなった。しかも、やはり過去は過去で、少しずつ記憶が薄らぐものらしい。それに、ちょっと前に書いた通り、A市にいたときの記憶が少ないのも良い。ただし、その精神を受け止める体力が衰えているらしく、ダメージはイーブン。
履歴書1枚仕上げるのに、理性と感情のメーターが振り切れる。あの世とこの世を行き来するぐらいの(行ったことはないけど)。
で、それだけならいいんだ。いいところでまちがえる。

心を込めて書けば精神分析の世界まで行ってしまいそうで、でも何も感じないように書けば、字が余計に汚くなるうえに意味のないまちがいが出てくる。
わたしは書道家になりたいわけじゃないのに、どうして手書きじゃなきゃダメなんだろう?
いや、理由はなんとなく分かっているつもりだ。一応おとなだから。
こういうことをある人に聞いたら「あぁ、まちがえて嫌だよね」という反応だった。しかし、その人によれば「思い出すよねー。学生時代はヒマだったな、とか」ということだ。排泄物のように感情が流れ出るようなのはまだお子様で、もっと大人にならなきゃならないということなのかも。しれない。











